雪見だいふく誕生秘話──社運を賭けた「冬アイス」革命

マシュマロに包まれた夢の始まり

1978年、ロッテのアイスクリーム開発チームは、ひとつの挑戦を始めた。掲げたコンセプトは3つ。

①「冬でもおいしいアイス」
②「まるごと食べられるアイス」
③「新しい日本的なアイス」

当時のアイス市場において、これは常識を覆す発想だった。

開発担当者は市場調査のため、九州へ足を運んだ。ロッテの工場が福岡県筑後にあったことから、自然と目が向いたのが博多の銘菓「鶴乃子」だった。ふわりとしたマシュマロで黄身餡を包んだこの和菓子に、開発者たちはインスピレーションを得る。

「マシュマロでアイスを包めないだろうか」

このアイデアは1976年頃から温められてきたものだった。ロッテの中央研究所での選定を経て、試作が始まったのが「わたぼうし」というマシュマロアイスである。容器には、マシュマロの柔らかな曲線をイメージさせる乳白色のブリスターパックが採用された。

50℃とマイナス5℃の邂逅

しかし、製造は困難を極めた。50℃のマシュマロと、マイナス5℃前後のアイス。この温度差をどう克服し、いかにして包み込むか。前例のない挑戦だった。
突破口を開いたのは、当時のアイスクリーム研究室長の経験と直感だった。「おまんじゅうを成型する包あん機で可能ではないか」。この発想から、日本の製菓機械トップメーカー「レオン自動機」との技術協力が始まる。
折しも、レオンはロッテのパイライン導入のため技術指導に来ていた。この偶然の出会いが、中央研究所と設備技術部門を巻き込んだ一大プロジェクトへと発展していく。

背水の陣

開発は難航した。だが、ロッテにとって後がなかった。1979年、1980年と2年連続の冷夏により、売上は大幅にダウン。アイスクリーム事業として生き残れるかどうかの瀬戸際に立たされていたのだ。社運を賭けたプロジェクト。その切迫感が、逆に開発チームの本気を引き出した。
1980年9月、「わたぼうし」は地区限定で市場に投入された。子供たちには人気を博したものの、年齢層が上がるにつれてマシュマロへの嗜好が伸び悩む。拡がりに限界が見えていた。

おもちとの出会い

わたぼうしの導入と並行して、次なる素材の組み合わせが検討されていた。議論の末に浮上したのが、日本人が古くから愛してきた「おもち」だった。
求肥との組み合わせによる「大福アイス」の開発が始まる。
この時点で実施された嗜好調査とモニター調査の結果は興味深い。「わたぼうし」と「雪見だいふく」の総合評価は互角。しかも「わたぼうし」の認知度は90%に達していた。それでも、開発チームは新たな可能性に賭けた。
和菓子の大福のイメージを再現した「雪見だいふく」。冷たいバニラアイスを、冷凍してもやわらかい求肥で包み込む。それまでになかった、まったく新しいアイスクリームの誕生だった。

厚さ1ミリの革新

アイデアの発想から製品化まで、約2年の歳月を要した。
製造の難しさは想像を超えていた。砂糖、でんぷん、その他の成分を精密に調整し、厚さわずか1ミリの求肥を作り上げる。冷たくても柔らかい食感を実現するための、気の遠くなるような試行錯誤が続いた。
製造の初期段階では、和菓子屋が使う大福もち製造機をそのまま導入した。もちがくっつかないようにするための粉が舞い、工場内は真っ白に染まったという。

「雪見だいふく」というネーミング

ネーミングは当初から「大福」を付けることが決まっていた。問題は、何を冠に被せるか。「花見大福」「月見大福」といった案が出ては消えた。
最終的に選ばれたのが「雪見だいふく」。おもちのやわらかさと、バニラアイスの白さを素直に表現する名前だった。
雪見だいふくには、企業のすべてが賭けられていた。当時、乳業大手3社が市場を席巻する中、その包囲網を一点突破したいという全社員の思いが込められていたのだ。

全国制覇への道

1981年10月、北海道地区でテスト導入。同年12月には関西地区へ拡大。そして1982年9月、ついに全国展開を果たす。
経営トップは大胆な決断を下した。6月から8月の販売を中止したのだ。この戦略が「冬の商品」というイメージを強烈に印象づけ、結果的にブランド価値を高めることになる。
発売後、雪見だいふくは爆発的なヒットを記録。各社が追随し、雪印「大福」、森永「わたゆき」、明治「京だいふく」、フタバ食品「アイス大福」「田舎づくり大福」、カネボウ「もちっ子ラブ」と、次々と類似商品が市場に投入された。
業界は「大福戦争」と呼ばれる激しい競争に突入するが、ロッテは特許出願にこぎつけた。

真夏の冬景色

余談だが、当時のテレビCMにまつわるエピソードがある。
中山美穂が出演したCMは多くの視聴者の記憶に残っている。しかし、その撮影は真夏に行われていた。気温34℃、観測史上4番目の暑さという日だったそうだ。
人工雪として発泡スチロールの雪を降らせるため、飛ばないようにエアコンは切られ、そこにライトの強烈な熱が加わる。毛皮のコートを着て、毛皮の帽子をかぶり、寒そうな演技をし続けた中山美穂。まさにプロフェッショナルだ。

愛着と決断

開発部門にとって、「わたぼうし」への愛着は格別だった。試行錯誤を重ね、ようやく製品化にこぎつけた思い入れがある。
しかし、最終的には増産体制を優先し、わたぼうしの製造は中止された。すべてのリソースが雪見だいふくに絞られたのだ。苦渋の決断だったに違いない。

1984年、雪見だいふくはアメリカ西海岸、香港、東南アジアへと輸出を開始。日本発の「MOCHI ICE」は、海を越えて世界の人々へ。
国内では学校給食用の1個入りも採用され、さらにシリーズ展開として「雪見弁当」も発売された。

雪見だいふくは、ロッテにとって文字通り「救世主」となった。シェア拡大に貢献しただけではない。日本の冬アイス市場そのものを切り拓いたのだ。
「冬にアイスを食べる」という文化を根付かせたアイスの大福。その誕生の裏には企業の執念と開発者たちの情熱があった。

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