町田房蔵のあいすくりん

「町田房蔵のあいすくりん」

日本人とアイスクリームの出会い

日本で最初にアイスクリームを食べたのは、横浜開港1859年(安政6)の翌年の1860年(万延元)。日米修好通商条約批准のため渡米した徳川幕府一行というのが定説です。1860年に日米通商使節団が乗艦したポーハタン号の随伴艦として同時期にアメリカに向けて出港した咸臨丸(かんりんまる)に乗り浦賀港からサンフランシスコへ向かって出航。この船には福澤諭吉や玉蟲左太夫誼茂らも乗船していた。サンフランシスコに到着し、アメリカ政府の出迎え船(フィラデルフィア号)に乗り換え、一行はワシントンに向かう。その船中で「アイスクリーム」がふるまわれた。これが日本人とアイスクリームのはじめての出会い。

この時の様子を使節団の一員だった柳川当清(やながわとうせい)が航海日誌(柳川日記)に、こう綴っている。

「珍しきものあり。氷を色々に染め、物の形を作り、是を出す。味は至って甘く、口中に入るるに忽ち溶けて、誠に美味なり。之をアイスクリンといふ。」

その後、日本でもアイスクリームが製造・販売がされるようになる。発祥の地は横浜。

あいすくりん

慶応元(1865)年に、外国人居留地、103番地(現・中区山下町103番地)(今の横浜中華街あたり)でアメリカ人のリチャード・リズレー(Richard Risley)が天津氷(てんしんごおり)を輸入し、アイスクリーム・サロンを開業。これが記録の上で一番確かな日本におけるアイスクリーム製造・販売第一号である。

アイスクリームの父、町田房蔵

日本人としては、明治2(1869)年6月(新暦7月)に、町田房蔵が横浜馬車道(常磐町5丁目)で氷水店(氷水屋)を開業、氷と、アイスクリーム「あいすくりん」を販売。

明治25年7月に発行された『横濱沿革誌』の明治2年6月の項に、以下のように書き記されている。

馬車道通常盤町五丁目ニ於テ町田房造ナルモノ氷水店ヲ開業ス當時ハ外國人稀ニ立寄氷又ハアイスクリームヲ飲用ス本邦人ハ之ヲ縦覧スルノミ店主爲メニ當初ノ目的ヲ失シ大ニ損耗ス尚翌三年四月伊勢皇太神宮タ大祭ニ際シ再ヒ開業セシニ頗ル繁昌ヲ極メ因テ前年ノ失敗ヲ恢復セリト爾来陸續來客アリテ恰モ専賣権ヲ得タル如ク繁榮ヲ極メタリ之ヲ氷水店ノ嚆矢トス

小さなガラスの器に一盛りして、金二分。金二分とは、大工の日当が金一分。女工の月給の半分という値段。現在の価格で換算すると、なんと8,000円。非常に高価だったため、とうてい庶民の口には入らず、一部の外国人たちが口にしたのみでした。現代では気軽に買えるアイスクリームも、当時はとっても高級な食べ物だったのです。

こうした歴史や背景を知ると、アイスクリームを気軽に食べられる時代に生きている私たちは本当に幸せだと心から感じられます。また、「アイスクリームの父」とも言える町田房蔵さんに感謝せずにはいられません。ありがとう・・・。房蔵さん!そして今日も僕は、アイスを買いにコンビニへ走るのでした。

町田房蔵の表記について

『横浜沿革誌』を見ると「町田房造」と記されているが、新聞記事や「アイスクリームのあゆみ」をはじめアイスクリーム業界の書物の多くで「町田房蔵」と表記しているため、本サイトでは町田房蔵と記すことにしています。

第2の房蔵プロジェクト

町田房蔵によって販売された明治2年から150年の時を経て、“第2の房蔵”を目指したEC市場でのアイス販売がはじまりました。

アイスクリーム専門EC『房蔵總本舗』

  1. 森永製菓 ビストロバニラ

    ビストロバニラ

  2. 赤城乳業 トッピンぎゅ~!

    トッピンぎゅ~!

  3. 小島屋乳業製菓 マックスコーヒーモナカ

    マックスコーヒーモナカ

  4. 赤城乳業 大人なガリガリ君 まる搾り白桃

    大人なガリガリ君 まる搾り白桃

  5. 井村屋 宇治抹茶もち最中アイス

    宇治抹茶もち最中アイス

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